「全て無駄だった」人生に負けたあなたへ

たまの哲学
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努力の馬鹿らしさ

「努力が叶うとは限らないが、成功者は皆すべからく努力している」……という言葉がある。
結論から言うとこれは嘘だ

現に努力していない人間が大成功を治めている例を知っている人は多いだろう。
寧ろ「努力した人間が馬鹿を見る」といった実例の方が明らかに多いはずだ。
私自身、身に染みてわかっている。

本記事は人生の敗者に向けて、心の整理とこれからの考え方についての提案である。

「人生に負けた。全部無駄だった。」そう思っている方だけに見て欲しい。

成功を努力の賜物だと思い込む

勝者と敗者の違いは何だろうか?
時々「私は必ずトイレの蓋を閉めています。」や「家の風呂掃除をやっています」などと話す成功者の言葉を真に受けて「だから彼は勝ったのか!」となる人間がいる。
ゴミ拾いを日常的にやっている敗者のことなど考えもせず、勝者がやっていたことだけを正義としてしまう。
勉強やスポーツの世界においてそれがどれほど関係があるのか考えもしない人間が、「ただ勝った」という理由だけで勝者を持ち上げ全てを肯定する。
まるでなろう系主人公とその取り巻きのようだ。

実際の違いなど、「勝った」か「負けた」か以外ないというのに。

成功者と敗者の努力量

〇勝者
例えば「東大」に合格した人間がいるとする。
その人間は毎日3時間の勉強を中学時代からずっと続けてきた。
周囲の人間は「よく頑張った」と合格者を褒め称えることになる。

〇敗者
ここに「東大」に落ちた人間がいる。
毎日10時間の勉強を中学時代からずっと続けてきた人間だ。
遊ぶクラスメートを横目に見ながらも勉強に人生を賭けた生活を送り、結果負けた。
彼に賛辞を贈る者は誰もいない。

敗者のことを多くの人間は愚か者だと言うだろう。
「それしかやらなかったからダメなんだ」と吐き捨てるだろう。
だが考えてみて欲しい「敗者は努力をしていなかったのだろうか?」

夢と絶望は表裏一体

成功者は「努力をすれば夢は叶う」と話す。

実際彼は夢を叶えたからこそテレビの向こう側にいるわけだ。
だがそれは彼以外に当てはまる話なのだろうか?

仮に彼と全く同じ生き方を100人の子供にやらせたとして、成功する人間は何人いるのだろうか?

そしてその100人の中の成功者と敗者の違いとは何なのだろうか?
「敗者は努力を怠った人間」なのだろうか?

…おそらく世間はそう断定するだろう。だが、そうなった時に敗者が与えられるのは「夢ではなく絶望」だ。

「子供に夢を与えるつもりが絶望を与えてしまった。」……そんなことにも勝者は気づかない。
「負けたということは俺よりも努力はしていない」と納得するだけだ。

パチンコ狂いがプロ野球選手になった話

私が「努力」を否定したのは大学生の時だった。
「夢を叶えるために最も重要なのは努力ではなく才能と運だ」と断定した時の衝撃は今でも覚えている。

時間の全てを野球に使った

学生時代の私の夢は「プロ野球選手」になることだった。
小学生から野球を始めて、中学生ではボーイズリーグへ、高校から大学と全てで野球をやってきた。
一番練習量が多かったのは高校時代だ。
毎朝5時36分の電車で通学し、7時前から朝練、16時に学校が終わってから21時まで全体練習、そこから終電の0時3分まで自主練。1日の睡眠時間は2~3時間。これを3年間行った。
大学生になったら「バイオメカニクス」や「栄養学」「生理学」「解剖学」などを学び、体のメカニズムから徹底して自分なりに努力した。

トレードマークはタバコとパチンコ

私が奴と出会ったのは大学生の時だった。
奴は全体練習以外の時間をパチンコに費やし、毎日1箱タバコを吹かすだらしない男だった。
チームメイトや町金からも金を借りて、学生にして数百万の借金まで背負ったにもかかわらず、行動を改めようとはしなかった。

だが野球は上手かった。誰にも好かれてはいなかったがエースピッチャーだった。

あまりに上手いため「実は陰で練習しているのかも?」なんて考えようかとも思ったが、そもそもに終日パチンコ屋に入り浸っているのを誰もが見ているため、そんなことは時間的にあり得なかった。

「金は契約金で返すわ」……口癖のように言っていたそいつの言葉は真実となり、今ではプロの舞台で活躍している。
インタビューでは「努力しました!」……だそうだ。

※追記:日本シリーズのマウンドで投げられるなんてうらやましいよ。

努力してしまった後悔が最も恐ろしい

「努力の美化をすればするほど不幸が増える」私はそう思っている。

「自分は努力した」と思い込める程度の努力であれば問題ない。しかし、全てを賭ける程の突き詰めた努力をした人間が失敗した時、悲劇が起きる。

「やらずに後悔するよりも、やって後悔した方がいい」……そんなわけがないだろう
真に努力してしまったならば、最早取り返しなどつくはずがない。
この言葉を使っているのは、大して努力しなかった人間か、成功しか知らない人間だけだ。

人は必ず負ける

努力の果てに負けてしまった惨めなあなたへ。
一度は死のうかとも考えた私が踏みとどまった考え方を2つ紹介したい。

一つは「人は必ず負ける」……という考え方だ。

例えば会社で昇進したいとする。
二人が争い、一人が課長になるとする。この時点で課長になれなかった人間の負けは1だ。
次に課長になった人間が部長になるために誰かと争って負けたとする。
こうなった時部長になれなかった人間の負けは1となる。

最初に負けた人間も後で負けた人間も負けの回数は変わらない。

ではさらに社長になったとする。これは社内では勝利と言えるかもしれないが、より大きな会社や取引先の社員連中から見下されることは変わらない。
ではもっと会社を大きく、勝つために大きく……とやったならば、地球上に勝者は一人だけになってしまう。
そしてその勝者ですら過去の偉人たちと比べれば大した存在ではないわけだ。

「地球上の勝者は良くて一人。他は全員敗者。」

誰がいなくても変わらない

二つ目は「誰がいなくても世界は変わらない」…という考え方だ。

例えば「大谷翔平」というプロ野球選手。
仮に大谷翔平が「最初から存在しなかった」としたら世界はどう変化するだろうか?
野球は盛り上がらないだろうか?テレビは野球の報道をしないだろうか?私たちの生活や人生が何か変わるだろうか?

そう。なにも変わらない。大谷翔平の代わりに別の誰かが取り上げられて、番組の枠もそれになるだけだ。

「総理大臣は?」「アメリカの大統領は?」これらだって変わらない。
勿論、今バイデン大統領が行方不明になったら騒ぎになるだろうが、「最初からいなかった」ならば何も世界に変化はない。いない世界線のアメリカも現代のアメリカも状況は何一つ変わらない。
仮にドナルド・トランプが人生の序盤で失敗して、最初からホームレスか何かになっていたとして、それに興味や疑問を抱く人間など存在しない。

「あの人は本当なら大統領になっていた」と誰かが言ったところで信じる人間などいやしないのだ。

このせちがらい世の中で誰よりも自由に生きる

これは本のタイトルだ。
こういった内容の本はこれ以外にもあるのだが、私に転機をもたらした最初の本であるため、タイトルを引用させてもらった。

「負けて苦しくて死にたい」「全て無駄になった」
そう考えているあなたへ。
あなたは負けたかもしれない。けれど「あなたが敗者であるならば、世の全ての人間が敗者である。所詮は敗者同士、優劣などあるものか」……とそう考えてみるのはいかがだろうか?

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