今日は中村久子について説明しよう!
わっ!……急になんなのさ?今日はまだ何も言ってないけど?
ふんっ。どーせまた君の暴論に振り回されつつ解説に入ることになるんだろう?
だったら先にやってやんよ。
決めつけは良くないんじゃないかな?それにどうやっていじろうか考えてきたこっちの身にもなってよ。
考えてたのかよ!なら話すぞホラ話すぞ!
やけにテンション高いじゃん。何かあった?
別に。ただ今回紹介する中村久子さんはブログ解説当初から紹介したいと思っていた人の一人だからね。気合が入っているのだよ。
ならわかりやすくお願いね。
できなかったらたまちゃんが隠してる堅あげポテト貰うから。
何で隠していることしを知っているんだい!?
中村久子。
将来「日本のヘレンケラー」と呼ばれるようになる彼女の知名度は意外と高くない。
同じ岐阜の生まれである「杉原千畝」と比べれば全くと言っても良い程に名前は通っていないだろう。
しかし彼女の苦難は他に類を見ない程に壮絶な物であり、彼女の歩んだ人生は後世の人々に深いメッセージ性を残している。
では、理屈や正義など入り込む余地のない、中村久子の生き様を追っていくとしよう。
ここがスゴイ①両手足を失った壮絶な幼少期
〇失った四肢
二歳と十ヶ月の秋、中村久子は両手足の痛みを訴えた。
初めは民間療法で手当てをしていたが、悪化していく様子を見かねた両親が中村久子を病院へと連れて行った。
病名「突発性脱疽」
両手足に血が行き渡らなくなり、徐々に腐っていくという恐ろしい病が宣告された。
「切断しなければ死ぬ。しかし幼い久子が手術に耐えられるかはわからない」
医者の言葉に絶望する両親は、それでもなお手術に踏み切れない。
両親は幾つもの病院を渡り歩き、遂には神仏に縋りつく。
宣教師は父に向かって「若い頃の女色関係が娘に災いした。神に懺悔しなければならない」と告げたという。
言葉の通りにした父は、毎日三時間もの間仏前で祈り続けた。
そうやって宗教にのめり込み、家財のほとんどを次ぎこんだある日のこと。
既に腐って真っ黒く変色してしまっていた久子の左手首が、「ボトリ」と地面に落ちた。
母親は発狂し泣き叫んだ。
これによって手術へと踏み切ることになり、「右手は手首」「左足は脛の中断から下」「右足はかかとから先」とそれぞれ切断された。
医者からは「明日には葬式の用意をした方が良い」……そんな事を毎日のように言われたという。
最初からハードモード過ぎるんだけど…。
〇周囲の目
失われた四肢の疼きは毎晩久子を襲った。
昼夜を問わず襲い来る激痛に泣き叫ぶ久子に対して、近所の住人は「やかましく汚らしい子だ」と告げ、一家ともども追い出した。
一か所には留まれず、人様の迷惑にならないようにと、両親は久子を連れて人知れぬところを歩き回った。例え大雨、大雪の真夜中であったとしても、そうしなければ生きてはいけなかったそうだ。
「良い子にして寝ていたら私のお手々とあんよは生えてくるのね?」
幼い久子の言葉に、両親は涙を浮かべて頷いたそうだ。
しかし遂に久子は自身の手足の納められた箱を見つけてしまい、「中を見せてよ!」と母にねだると、意を決した母親は真実を久子に話した。
それは大人になった後もありありと蘇る、悲痛な記憶になったそうだ。
〇父の急死
中村久子が七歳の時。
「ひさ、父様が乞食になっても、死んでも決して離さないよ!」
そう宣言して久子を抱きしめた父親は、そのまま床に倒れると、帰らぬ人となった。
急性脳膜炎だった。
父の死になにより絶望したのは久子の母。
残されたのは、四肢のない我が子と三歳の弟、宗教に費やしたことで生まれた多額の借金のみ。
どうしたのちー?今日はやけに静かだね。
これをどうやって茶化せっていうのさ?
ここがスゴイ②差別を自覚した少年期
〇友人と人形
久子にも友人はいた。
しかし久子ができるのはせいぜい「おままごと」程度。
飽きてしまった友人たちは久子を置いて外へと遊びに出てしまう。
そんな久子にとって唯一遊び続けられるのが人形だ。
「あんたはお手々もあんよもあっていいのね。そのお手々私に貸してちょうだいな。」
そう言いながら人形に頬ずる久子の姿に、祖母は顔を背けて涙を流していたそうだ。
〇学校
八歳になり、四月の入学の日を久子は待ち望んでいた。
「海老茶の袴と赤い下駄を買っとくれ。」
それさえあれば学校へ行けるのだと信じていた久子。
希望に胸を膨らませていた彼女だったが、ついにその日が訪れることはなかった。
ぞろぞろと下校する同年代の子供達の姿を眺めながら、自室で鉛筆を加えて文字を書くことに満足感を覚えようとしていたそうだ。
〇母の再婚と弟との別れ
この時代、女手一つで生きていくのは厳しい。
母親が再婚すると久子は連れあったが、叔父の家に預けた弟とは離れ離れになった。
「栄ちゃん(弟)に会いたい!」
障碍者で連れ子という立場から、再婚先の家で肩身の狭い思いをした久子は、弟に会いたいと喚いた。
「私たちには帰る家がないのだよ。」
そう答える母は、久子に厳しく接したそうだ。
〇視力を失う。
九歳。
久子は盲目となった。
「手足の病が目に回った。回復の見込みは薄い。」医師の言葉に母子は絶望したという。
同時に、叔母が亡くなったことで弟を養えなくなり、弟は育児院へと出されることになった。
手足もなく目も見えない娘を残して、健康な長男を里子に出す。
弟を見送った帰り道、母は心中しようと宮川の上流へと向かったそうだ。
「ひさ、堪忍してな。」
そう告げた母だったが、久子の怖がる姿に思いとどまり家路についた。
その後視力は元に戻り、母子は奇跡が起きたと喜んだ。
この時、久子は見えることの素晴らしさを実感したという。
〇自分でできること
それから母は、久子に身の回りのことをやらせるようになった。
久子も自分のことは自分でできるようにと、色々と工夫を始める
- 女子は針が持てた方が良い⇒口で人形の服を作れるようになる
- ご飯は自分で食べられた方が良い⇒口だけで食べれるようにする
などだ。
しかし、それに対して心無い人々からは「涎のついた人形など汚らわしい」とプレゼントした人形を捨てられ、「手を使わず食べるなんて犬猫と同じだ」と罵られた。
しかし久子はそれをバネに、涎で濡らさぬように縫物をする方法と、腕で箸を挟んでご飯を食べる方法を身に着けた。
〇義父との確執
手足のない子を見られるのは嫌だ。という義父は久子を表に出すことを禁じた。
決められた時間のみ自室から出て良いことになっており、便所すらも自由には行けなかったそうだ。
久子のことで母と義父が喧嘩して、一年程別居生活をしたのだが、結局は義父の下へと戻ることになり、同じような生活が続いた。
「手足のない者が学問などして何になる?」
口癖のように言う義父に、久子は酷く悲しんだ。
うう…。何でみんなは久子に酷いこと言うのさ!可哀想だとは思わないのかよ!?
この時代の人々は今よりも貧しい生活が当たり前だったんだ。
他人への気遣いなんて言うのは余裕があって初めて生まれる感情の一つ。
擁護するわけじゃないけれど、それが当たり前の環境だったんだ。
ここがスゴイ③見世物小屋のだるま娘
〇井戸端会議
同年代の子が稼いでくるようになると、井戸端会議が起こった。
やれ娘が百円持って帰っただの、反物を貰っただのと、久子と母親はさらに肩身が狭くなった。
「あの娘はまだ生きている。きっと何かのたたりだろう。」
町の人々は久子の事をそんな風に笑ったそうだ。
「お前さえいなければこんなに苦しい思いはしないのに…」遂には母親までもが久子に当たったという。しかし、それでも母が久子を見捨てることはなかった。
………。
〇見世物小屋へ
「運命は自ら開拓す」……本で読んだ一節に久子の意志は焚きつけられた。
そして時を同じくして、亡き父の親友であった男が久子に見世物小屋で働く提案をよこした。
「わしはお前を馬鹿にして言っているわけではない。これから大人になっていくお前を案じての話だ。」
涙ながらに語る父の親友は、見世物小屋で得た金を元手に小店を立ち上げて生活する方法を久子に示したのだ。
「貧乏はしても我が子を食い物にはしない」生前の父が言っていた言葉だが、生きるためには現実と向き合わなければならない。
意を決した久子は見世物芸人になることを了承した。
「無理せずいつでも帰っておいで。」別れ際の母の言葉に後ろ髪を引かれながらも、久子は名古屋へと出稼ぎに向かう。
それと「両手足のない娘が売られた」などと地元新聞ではうるさかったそうだ。
見世物小屋での生活は父の親友の助けもあって、意外と豪華な物だった。
映画にも連れて行ってもらえたし、芸人用の綺麗な服も着せてもらえた。今までの生活から見れば恵まれていたとのことだ。
見世物としては、口で裁縫をしたり字を書いたりをした。
この時、後に習字の大家と目される沖田六鳳(おきたろっぽう)先生が久子に興味を抱き、字を教えてくれたという。
見世物小屋のげいにんであっても‘‘泥沼の蓮’’にならねばいけない。泥の中にいても泥に染まらない精神を持たねば、真の人間とは言われない
引用元:こころの手足 P71
その時に教わったこの言葉が、生涯の心の支えになったと聞く。
久子は見世物芸人にしては珍しく読書家に成長した。
芸人仲間からは「生意気」と罵られたらしいけど、大人になっても色々と読みふけっていたらしい。
〇本当の地獄
しかし真の苦難はここからだった。
父の親友が病に倒れ、別の見世物小屋へ移されると馬車馬のように働かされた。
興行中の昼食は無し。手紙は書けない。風呂は時間制限。自分宛ての手紙は雇用主に開封されてしまう。
この時代にコンプライアンスなどあるはずもなく、労働者としても障碍者としても一層差別の目にさらされることとなった。
逃げることも考えたが、他に生きる術などない。結局は縋る他に道はなかった。
さらに悪いことには、雇用主が義父を金でたらし込み、久子の身元を買ってしまったということだ。
クソ親父め!義理とはいえ娘を金で売るなんて!
〇生き別れた弟
幼い頃に里子に出された弟の居場所がわかった。
見世物小屋に束縛されている久子が会いに行くことはできなかったが、手紙でやり取りをするようになった。
弟が元気にやっているという知らせは久子に希望を与えた。
「僕が成人したら姉さんの身元を引き取るよ。一緒に暮らそう。」
そんな言葉に久子は幾度も涙を流した。
「エイ蔵キトクスグコイ」
その知らせは突然やってきた。それは弟が丹毒で死にかけているという報せだった。
見世物小屋契約終了まであと十五日。十五日で自由になれるのに、今出て行けばまた飼い殺される。
それでも弟に会いたい久子は借金をしてまで弟の元まで飛んで向かった。
床に伏す弟は、毒に脳をやられて幼児退行し、顔と目も変形してしまっていた。
「おかあさぁーんどこー?目を開けたいよー。」
しかし数日看病すると、久子を姉とわかったようで、「お姉さんりんごが食べたい」などと言ったそうだ。
もう長くはない弟の世話をする久子だったが、弟に会うために借りた金の返済期限のために、息を引き取る前に帰らなければならなくなった。
「どこにも行かないでね。僕のおそばにおってね。」
それが弟との最後の会話だったそうだ。
そうして数日後、弟が死んだという報せが久子の元に届いた。
〇母の死
弟が亡くなったその年の八月、今度は母が亡くなった。
厳しくも育ててくれた母親の死。自分ほどの親不孝者はいないと久子は思った。
そして同時に、手足がなくても生きていけるのは母のおかげだと心から感謝したそうだ。
久子は晩年になっても母親を尊敬していた。
今の自分があるのは紛れもなく母親のおかげだと断言している。
お祖母ちゃんより先に弟とお母さんが死んじゃうんだね…。
ここがスゴイ④両手足のない母
〇結婚
父親の親友の見世物小屋にいたころからの付き合いである「中谷雄三」と久子は結婚した。
当初久子は中谷に対してそれほど情熱は持っていなかったが、中谷の真面目さと純情さに、次第に心惹かれて行ったそうだ。
「こんな体でも夫婦生活がさせてもらえる。」その喜びは生きがいに変わっていった。
〇義足との出会い
久子が婦人雑誌に自身の半生を描いて応募すると当選した。
これほど壮絶な人生を送っていれば当然のような気もするが、久子にとっては意外だったそうだ。
そしてその賞金と婦人雑誌の伝手で出会った医者により、手術の後に義足の使用が可能となった。
今までの人生で歩いたことがない久子にとっては、義足でのリハビリは大変な物だったが、必死の努力でなんとか歩けるようにまでなった。
何よりうれしかったのは「買い物が自分でできる」ことだったそうだ。
〇初めての子供
産気ずいたのは巡業中の事だった。
慶応病院に入院した久子は、女の子を出産した。
「手も足もありますか?お指もみんな?」
久子が医者に最初に問うたのは、こんな内容だった。
自身の障害が子にも引き継がれはしないだろうかと気が気でなかったのだ。
子供に四肢はちゃんとあった。障害のない健康な女の子だった。
名を「美智子」と名付けた。
生まれてきた娘の手足があるかを初めに聞くだなんて、久子さんじゃなきゃありえないだろうね。
〇夫の病と祖母との死別
久子の夫が「腸結核」を患った。
これに対して夫婦ともに働いていた一座が夫を煙たがったことで、起こった久子は一座を離れ、独立興行をしようと決意する。
しかし夫の容体も悪化し、実家から「祖母が危篤である」という報せをうけ、行ってこいと言う夫の言葉に従い、夫を残して実家に帰省した。
久子の祖母は半身不随で口もきけないほどに弱っていた。
唯一できたことは、久子を見つめて涙を流すことだけだった。
しかしそれでも親戚一同は二人に冷たく、一切の援助どころか関わりたくもないという有様だったという。
この時久子は「この世に甘えられる相手などいない」と思ったそうだ。
〇関東大震災
関東大震災によって残してきた夫と連絡がとれなくなった。
「お前の夫が死んでいても一切相談には乗らない」
久子が何を言う前にそう告げてくる親戚一同に、涙を流す久子は「絶対に頼まない」と言ったそうだ。
夫の元へ向かう道中の鉄橋は自身によって破壊されていたが、久子は四肢のない身体で僅かに残った鉄棒の部分を渡って帰ったという。
再び会えた夫は生きていたが、病状はさらに進んでおり、「お前は誰だ!?」などと久子に怒鳴るようになってしまった。
その後、祖母の訃報の報せを受けた数日後に、夫も息を引き取った。
これでもう娘を守れるのは自分だけ。
久子の母が辿った道を、久子も辿ることになる。
〇だるま娘の復活
震災にかこつけて金品を盗まれてしまった久子が生きる道は芸しかなかった。
「だるま娘は金になる」恨めしくもそんな人気があった。
さらに娘を守るため再婚をした久子だが、その夫との間に子ができてすぐに夫も帰らぬ人となった。
急性脳膜炎だった。
〇娘との死別
そして三度目の結婚をする久子。
しかし三人目の夫は女遊びも酷く、久子を不具な女と呼ぶ男だった。子供二人のことについても真面目に面倒を見ようとはしなかったそうだ。
その夫には二人の連れ子がいたため、久子の子供は4人になった。
その後新たに子供が生まれた。女の子だ。
しかし「はしか」という病が進行し、幼くして亡くなってしまう。
〇美智子の運動会
「娘にばかりかまけるな」と怒る夫とその親族。
さらに久子の娘が今の父を嫌ったことで、久子は夫と離婚する。
元夫となった男は、久子を逆恨みし、粘着しては悪口を吹聴したそうだ。
これにより、様々な場所で興行ができなくなったが、「六兵衛さん」という北陸東海地区の親分が久子側についたことで以前と同じように興行が可能となった。
四肢がないという障害に加えて、この時代の女性の権利は低かったんだね。こんな苦労をしても結婚しなけりゃ生きていけなかったんだから。
今は男女ともに障害未婚でも…というより未婚の方が生きやすいからね。
少子化で日本の未来は暗いけど。
ここがスゴイ⑤光の人ヘレン・ケラーとの出会い
〇ヘレン・ケラー
「光の人」……久子はヘレンケラーに出会った時の印象をこう表現している。
闇と沈黙の偉大なる女性。全世界の身体障碍者の希望にして聖女。
そんな大それた相手との会見をススめられた久子は、どうしようかと悩んだ結果、人形を贈ることにした。
幼い頃に盲目の経験をしたことのある久子にとって、ヘレン・ケラーには惹かれる思いがあったそうだ。
久子の事を紹介されたヘレン・ケラーは久子に接吻した。
その後、久子の短い腕に触れた時、ハッと顔を動かした。
そしてさらに下半身の義足ともう片方の腕を確認すると、久子の身体をギュッと抱きしめたそうだ。
ヘレン・ケラーの両目から落ちる涙が久子の頬を濡らし、会場は静まり返った。
そのヘレン・ケラーの涙と、贈り物の人形を大事に抱えてくれる姿を見た久子は、
心をこめた仕事に、太平洋も国境も無い。あらゆるものを乗り越えていくのは、人間の持つ尊い真心なのだ
引用元:こころの手足 P195
としみじみ思ったという。
※ヘレン・ケラーとはさらに2回の計3回会うこととなる。
ヘレン・ケラーについてもいつか紹介する予定だよ。
〇後年の中村久子
長らく芸人を続けた久子は、引退後数々の講演を行った。
※再婚もしている。
二人の娘が結婚し孫もできたことで、子供や孫に「祖母が年老いても芸人としてさまよっている」などと思わせたくないがために、引退を決意したそうだ。
ヘレン・ケラーの一件もあって、久子の壮絶な生き様は多くの人々の関心を集めた。
「もう人間としてあなたは完成した人だ」……四肢のない久子にこんなことまで言う人もいたそうだ。
対して久子は「私は一生未完成のまま」と答えている。
中村久子の真実の道
…といったところで締めにしたいんだけど。
もうすげぇよ…。なんでこの人ばっかりこんなに苦労するんだよ。神も仏もねぇのかよ…。
それは違う!
うわっ!…なんかデジャブ。なんだよまた急に?
君のその意見「神も仏もない」についてだよ。
中村久子はね。この苦難の先に、『真実の道』を見出すのだよ。
なにそれ?宗教チックな感じ?私神様とか信じてないんだけど。
宗教か…。
久子の出した答えの中には、確かに「神や仏」というワードは出てくるけれど、それは決して今君が想像しているような宗教とは異なる話さ。
いうなれば、「宗教としての神」ではなく、「哲学としての神」といったところか。
哲学としての神?何それ?急に難しいんだけど。
まぁそうだろうね。だからこそ今回は取り上げなかったわけだから。
ただ、「祈っていれば神様が助けてくれる」なんて依存的な考え方ではないってことだけは覚えておいて。
…この際難しくてもいいから知りたいんだけど。
ここまで苦労してきた久子さんが出した人生の答えなんでしょ?絶対普通じゃたどり着けない考え方じゃん。
その通り。
彼女の残した答えは、人間の真理に限りなく近い言葉だと言ってもいい。私は「老子」や「荘子」のような哲学思考を彼女から感じたよ。
なら早く!このままじゃ気になって夜も眠れないよ!
そしたら次の日はずっと眠ってて、たまちゃんに家事を全部押し付けなきゃならなくなるよ!
ならねぇよ!っていうかやらねぇよ!
…はぁー。でもいいさ。そこまで聞きたいならまた今度教えてあげるからちょっと待ってな。流石に長くなり過ぎたから。
…そだね。短くまとめたいとか、最初のブログ記事で断言しといて一万字超えてるとか意味わかんないしね( *´艸`)
ウッ…!
ま、まぁ頑張ってはいるのだよ。頑張っては…。
なら今日の所は会見後、「ヘレン・ケラーが中村久子について語った一言」を最後に締めとさせてもらうとしよう。
私より不幸な人、そして私より偉大な人
ヘレン・ケラー
コメント
初めまして。私が読みたかった中村久子さんの『こころの手足』を取り上げられている記事、わかりやすく良かったです!
障がいを持っていても、厳しい母の教えを元に、血のにじむ努力していった久子さんは、本当にすごいです。
私も苦境にありますが、久子さんを見習って、ぜひとも頑張りたいです。
ときにはくすっと笑えるツッコミも少しある良い記事をありがとうございます。m(__)m