歴史偉人紹介のコーナー!
今日の主役はココ・シャネルだ!
へいへい!このテンションにもなれてきたね!
シャネルってあのシャネル?ブランドの?
そう!
世界中の女性の憧れ!パリコレの象徴!
世界最高級ブランドシャネルの創設者だ!
おそらく今まで紹介してきた偉人の中で一番有名な人物になる。
戦争や政治で活躍した偉人たちは、興味のない人にとっては「アレキサンダー」や「ナポレオン」ですら知らないと言われるだろう。
でも「シャネル」は違う。ファッションという分野で世界を席巻しているからね。
ブランド品に興味深々の女性と歴史って合わない気がするもんね。
そんな一見華やかなイメージのシャネルだが、その裏には類まれな行動力と精神力で「運命を変えた」一人の女性の奔走の歴史があったんだ。
ここがスゴイ①
自分の人生が気に入らなかったの。だから自分で創ったのよ。
ココ・シャネル
ガブリエル・ボヌール・シャネル。
あまり知られていない彼女の本名だ。
『ココ・シャネル』は彼女が生涯名乗った愛称である。
父親に捨てられた幼少期
1883年フランスのソミュールで生まれたシャネル。
病弱の母親と酒癖の悪い父親を持ち合わせた彼女が12歳の時、母親が死去したことで孤児院へと入れられる。
「親がいない」ということは孤児院での差別にもつながり、通常の勉強は受けられず、職業訓練ばかりさせられる幼少期を送った。
(その間父親が会いに来ることは一度もなかった。)
バルサンとの出会い。
18歳になったシャネルは職業訓練で身に着けた裁縫の腕を生かして仕立て屋に就職。
(正確にはそれ以外には道がなかった。)
美しい彼女はよく男たちに誘われた。
誘われた先のキャバレーで歌った十八番『ココリコ』と『トロカデロでココを見たのは誰?』この曲から『ココ』という名前を取って愛称の『ココ』を名乗るようになった。
そんな彼女に目を付けた『バルサン』という名の大富豪がいた。
虫に強そうな名前だね。
繊維工場を営むバルサンは、会社の本拠地をフランスのシャトールーに持っていた。
バルサンの愛人となったシャネルは金で買える物なら何でも手に入る生活を送った。
しかし仮にも修道院で厳格な意識を育てられた彼女にとって、いつまでも堕落した生活を続けることは困難だった。
その後、バルサンに頼み込んでアパルトマンを貰ったシャネルは、そこで帽子店を営むことにした。
この時代のフランスで女性が働くだなんて考えられなかったからね。しかも裕福な生活を送っているにも関わらず。
バルサンは「またシャネルの気まぐれが出た」程度に考えていたのだと思う。
シャネルの帽子
当時、女性の間ではたっぷりのフレアーとレースとリボン飾りがふんだんに使われた豪華な服と帽子がトレンドとなっていた。
だがしかしシャネルはそうした女性たちとは違い、シンプルな服装と細いリボンの縁取りのカンカン帽のような帽子を作成した。
シャネルの帽子はボーイッシュで革新的であり、時代の先端を象徴しているようで、女性の間で人気が高まった。
ここがスゴイ②歴史を変えたシャネルのデザイン
彼は美しいというより、素晴らしかったわ。
ココ・シャネル
アーサー・カペル
生涯独身を貫いたシャネルだが、唯一人だけ本当に愛した男性がいた。
カペルは若い実業家であり、努力の人。
シャネルが「パリで帽子屋を営みたい」と相談した時、シャネルの内側にある闘志を見出した彼は、彼女名義の口座を開設して借金ができるよう取り計らう。
『シャネル・モード』開店
ヴァンドーム広場の裏手にあるカンボン通りの二十一番地。
「伝説」が幕を開ける。
これこそがファッションブランド「シャネル」の第一号店であり、シャネル始まりの地である。
皆殺しの天使
ここで彼女が生み出したものは帽子だけではない。
・女性の服はスカートが一般的であった時代に、女性用のズボンを開発。
馬の世話役からヒントを得たパンツスタイルと猟師からヒントを得たハイウエストスタイルを作成。
・機能性重視のジャージードレス
世界大戦只中、労働を強いられるのは男性だけではなかった。
これまでの服装では動きにくいと考えたシャネルは、伸縮性のあるジャージードレスを作成した。
彼女のデザインは歴史を作ったと言っても過言ではない。
ただ「可愛い」とか「カッコいい」とかいう次元ではなく、その合理的かつ革新的なデザインは私たちの身近にある様々な物へと流用されていった。
ワンピース、体操服、ジャージ…これらは全てシャネルの作成したドレスが元となっている。
『皆殺しの天使』とはこれまでのファッションの概念を覆し、無数のブランドショップを閉業に追い込んだシャネルの異名である。
なんとジャージまでシャネルの発想!
ブランドなんて興味のなかった男性諸君。君が好んで来ている動きやすい服の全ては、そのブランドの頂点が生み出した物だったのだよ!
この人がいなかったら街中の女性はスカートだらけで、男性は皆スーツだったってこと!?
ありふれた愛はいらない
カペルは結婚した。
別の女性と。
仕事に熱中する中で、カペルが自身から離れていたことにシャネルは気づいていた。
しかしそれを泣き叫ぶには、シャネルの自尊心はあまりにも強すぎた。
1919年。
アーサー・カペル38歳死亡。交通事故だった。
ここがスゴイ③自由を求めた愛されし女性
自由を買わなくてはならなかったの。どんなに高くても。
ココ・シャネル
私は誰にも借りがない。
ココ・シャネル
なんという喜び!
私は自分自身の主人で誰にも拘束されていないの!
彼女が最も欲した物は自由だった。
自立した女性の象徴であるフェミニズムの先駆者でもある。
そんなシャネルだが、意外にも多くの人物に支えられてきた歴史を持っている。
上記に上げた人物を含めて8人。
- バルサン
- カペル
- ミシア
- ストラヴィンスキー
- パブロヴィッチ大公
- ルヴィルデ
- ウェストミンスター侯爵
- イリブ
〇バルサン
シャネルに上流の生活を教え、帽子店の開業資金を出した。
〇カペル
シャネル最愛の人であり、ブランドシャネルの礎を共に築き上げた。
〇ミシア
「女性はちっとも面白くない。友情を感じない」などと言っていたシャネルの唯一の親友。
数々のデザイナーにシャネルを紹介した。
〇ストラヴィンスキー
ミシアの紹介で出会った音楽家。
後に『20世紀最大の影響力を持つ作曲家と称されるようになる偉人』
そんな彼の才能を見出したシャネルは彼と彼の家族の生活費と活動資金の全てを出資していた。
〇パブロヴィッチ大公
ロマノフ家の生き残り。シャネルはパブロビッチの姉のマリア皇女がロシア刺繍をフランスで販売することを援助した。
パウロヴィッチは『稀代の調香師エルネスト・ボー』をシャネルに紹介した。
〇ルヴェルディ
「彼こそが本当の詩人だわ」とシャネルに言わしめた人物。(ミシアの紹介)
華やかさに惹かれながらも、全てにおいてシャネルとは正反対であったるヴェルディは、それ故にシャネルのよき理解者となった。
かけがえのない人であるためには、他の人と異なっていなくてはならない。
ココ・シャネル
〇ウェストミンスター侯爵
イギリス最高位の貴族。
真の豪華な暮らしという物をシャネルに教えた人物。
生憎シャネルは侯爵からの豪華な品々にはなびかなかったが、そのエレガンスな生き方から着想を得て、数々のヒット商品を生み出した。
〇イリブ
シャネルにハイジュエリーコレクションの道を示した。
従来の豪華さよりもスマートさにこだわっていたシャネルだが、「宝石はそれそのものではなく、全体をエレガントに見せるためのアクセントでなくてはならない」として、豪華なダイヤモンドを用いるようになった。
デザイナーであるイリブの柔軟性をシャネルは見習ったのだ。
ここがスゴイ⑤CHANEL NO.5 (シャネルの5番)
香りをつけてこそスタイルは完成する。
ココ・シャネル
当時の香水の役割とは「臭い隠し」でしかなかった。
人も街も今よりはるかに不衛生な時代で、香りのキツイ香水は必須であったのだ。
香水ってより芳香剤的な役割だったんだ!
しかしファッションには香りも必要だと考えたシャネルは世界で初めて香水をファッションに転用する。
パブロヴィッチ大公から紹介された調香師エルネスト・ボーとの共同により完成した。
「発表する日付は5番目の月の5月5日」
理由は5番という数字がシャネルにとって幸運をもたらす数字であると彼女が考えていたから。
1921年。
『CHANEL NO.5』(シャネルの5番)誕生。
類まれな創造性により創られた唯一無二の香りと、シンプルなボトルに数字だけという独創的なネーミング。全てが全て画期的なシャネルの5番。
「間違いなくシャネルが世界一であった時代が存在する。それは『シャネルの5番』が世に認知された時だ。」
シャネルの5番が発売されてから約100年。
その後を追うようにして作られたこれまでの香水の大先輩であるにも関わらず、未だに第一線で戦うことのできる歴史上最高の香水さ。
シャネルよ永遠なれ
彼女の躍進は終わらない。
- 世界初のミニスカート発明
- シャネルスーツ発明(現代の女性スーツ)
- ブラックドレス発明
- パジャマスーツ発明
- ツイードスーツ発明
- ショルダーバッグ発明(ついでにバッグの中に仕切りを作ることも発明)
- コスチュームジュエリー発明
- 口紅をリップスティック型にすることを提案(現代の形)
……えっ?これ全部シャネルの発明?
あたいらが日常で使ってるもの全部じゃん!?
シャネルがいなかったら、未だに指で口紅を塗らなきゃいけなかったかもね。
ココシャネルの引退
1939年。
ココシャネル引退。
世界のファッションの在り方を根底から覆した彼女は、惜しまれつつもファッション業界から身を引く。62歳であった。
引退しちゃうのか―…。
でもそうだよね。ファッションは若者が流行らせてなんぼだもん。歳をとったからやめようってことなんだろうね。
どうかな?心境まではわからないな。
この15年後に復活したからそんなこと思ってなかったと思うけどね。
復活!?……マジで!?
まさかの復活
「最近のファッションが気に入らない」という理由で復活したココシャネル。(77歳)
「流石に時代遅れ」と口々に言われての復活だったが、見事シャネルは近年のトレンドに適応する。
新たなシャネルスーツはアメリカで大ブームを巻き起こし、
ファッション業界の最高賞『モード・オスカー賞』を受賞してしまう。
この婆ちゃん……ヤバすぎる!!!
1971年ココ・シャネル死去
1月10日。
87歳のシャネルは静かに息を引き取った。
彼女の残した功績はファッションだけでなく人の生き方までもを変えた。
〇「豪華な服=オシャレ」という概念を払拭したことで、ファッションによる貧富の差をなくした。
〇「こうでなければならない」という服装の概念を打ち破ったことで、ファッションに限らず生き方に多様性が生まれ、世の人々の個性が重んじられるようになった。
〇「女性の自立」を掲げ、自らの力でそれを証明した彼女は史上最初の真のフェミニストと言える。
〇人間の自由。意志の解放。それを成すための努力と行動力。それら全てを世に知らしめた。
私が本気で尊敬する偉人トップ10の内の一人だ。
彼女の存在は間違いなく奇跡だった。
自らの力を自らで証明する。
周りの人に「もっと気遣え」と言うだけの人が増えている昨今だけど、シャネルのように行動と結果で示すことのできる人の言葉なら、信じてみようって気になるよ!
本気で努力して行動したからと言って必ず成功できるわけじゃないけどね。
でも例え負けても、後悔してもやらなきゃ変わらない。
……ぼくは人生に負けたけど、こういう偉人たちの人生を知って、足掻くことを始められたのさ。
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