私たちが住んでいる日本で実在した奇妙な風習。
今を生きる人が聞けば「一体どうしてそんなことを!?」
と驚く話ばかりだとは思いますが、それは時代背景からなる合理的な考え方でもありました。
奇妙で残酷な話にも経緯がある。
僕たちだってその時代に生まれたら、同じことをしていたかもしれない。
おじろく・おばさ
「おじろくおばさ」は長野県神原村(下伊那郡天龍村神原)にて行われていた家族制度です。
16~17世紀の間に行われていたという話と「20世紀まで残り続けた」という説とあるため、やや定かではない部分がありますが、もし本当に20世紀まで行われていたのであれば驚くべき事です。
〇奴隷制度と呼ばれた
- 一家の長男を家督に任命
- 長男は必ず結婚し、通常通りの社会生活を送って子孫を残す
- 次男以降を人ではなく奴隷と位置づけ、家のために無償で働かせる。
「男はおじろく」「女はおばさ」と呼称される。 - 3を行う際に反抗されてはいけないため、外界との接点の一切を持つことがないように洗脳し、他人と会話をすることすらも禁止する。
- おじろくおばさは、遊びや交際を行ってはならない。(別の家の長男に見初められた場合は別)
というのが詳細です。
「おじろくおばさ」は常に無表情で感情の起伏が無かったと言われています。
〇理由は人口制限
神原村は山々に囲まれた秘境とも呼ぶべき場所にあり、耕地面積も少ないため「村人が増えすぎると食料が足りなくなる」という問題を抱えていました。
食えなければ争いが起きて全滅すると考えた村人たちは、「人口制限」を行うことで家の存続を優先させることにしたのです。
長男は次男以降をこき使うことができたため、楽な生活ができた。
本当に人権もなにもない制度だけれど、昔の人々の価値観では「家を残す」ということにそれだけの重みを感じていた証拠でもある。
「おじろくおばさ」は常に無表情で感情の起伏はなかった……生まれてからの擦りこみで、人としての心を養うことができなかったんだろうね。
石合戦
雪合戦は雪玉を、石合戦は石玉を投げ合います。
子ども同士の遊びとしても用いられることがありましたが、その本質は村人同士の利権争いでした。
〇村同士の衝突
江戸時代になると村同士が発達し、様々な主張をするようになりました。大きな決め事であれば国が出張ってきますが、小さなことだと自分たちで解決する必要があります。
そしてその際に用いられたのが石合戦でした。
ルールは単純、石を投げ合って降参した方が負けです。勝った村を利権を手に入れて、負けた村は権利を失い、多数のけが人と死人がでます。
※あまりに危険だから禁止
勝ち負け云々以前に石合戦による死傷者が増えすぎたため、国がこれを禁止するようになりました。
国に止められたことで石合戦の文化は消えていきましたが、それでも争いは起こるため、様々な方法で争いは続きました。
村の代表者が熱々に熱した鉄の棒を素手で持って、どこまで運べるかを競う。なんてのもあったよ。
勝ったら英雄として祭り上げられて、負けたら仲間から迫害を受けたよ。殺されることもあったそう。……でも例え勝ったとしても手は二度と使い物にならなくなるから、代表者に選ばれた時点で人生は真っ暗だね。
ムカサリ絵馬
生者と死者の結婚を「冥婚」と言います。古代より世界各地に点在した風習です。
ムカサリ絵馬とは、いわば「日本版冥婚」のことを指します。
ムカサリ絵馬は「優しさと悲しみ」から生まれた風習であるため一般的には悪いものではありません。
「ムカサリ」とは「婚礼」のことです。
〇あの世でも安らかに過ごしてほしい
- 結婚せずに亡くなってしまった人を対象とした儀式
- 故人の親族が個人をしのんで「せめてあの世では結婚をして幸せに」という願いを絵馬にこめる。
- 絵馬には故人と架空の女性が結婚式を挙げている絵を書いて神社や寺の境内に飾る。
〇江戸時代からできた比較的新しい風習
確認されている中で最も古いのは1898年の山形県天童市の事例です。
その後は第二次世界大戦後に大量に増えました。若くして戦争で亡くなった多くの子供たちを思って親が行いました。
今だったら、「結婚=幸せと決めつけないで!」と発狂する人が出てきそう。
現代は多様な幸せというのを考えられるだけの余裕があるからね。
実際に戦争で子供を亡くした親が自身を慰めるための効果もあったはずだから、否定できる物ではないよ。
口減らし(間引き)
「おじろくおばさ」と同じ人口制限の全国普及版です。
しかしこちらは奴隷制度的側面はなく、ただ食べる人間を減らすというものでした。
江戸時代に最も多くなったとされています。
〇7歳までは神のうち
江戸時代の人々は「子供が7つになるまでは人間ではない」と考えており、自由に殺して良いものとしていました。実際に子供を殺しても大人を殺したと同様に殺人として扱われることはなく、大人たちも一般的な手段の一つとして日常的に行っていました。
〇山姥伝説
江戸時代には年金制度がありません。現代では働けなくなった人々を働ける人々が助ける仕組みになっていますが、江戸時代の場合は働けなくなったら生きてはいけません。
国が助けてくれないため家族が助けようとはするのですが、「働かざる者くうべからず」の精神が強い時代において、食い扶ちだけが増えることは苦しかったのです。
そのため年寄りを山へ捨てるという風習も発達しました。捨てられた年寄りは運命だと悟って死ぬ者もいましたが、中には追いはぎとなって山中に迷い込んだ人間を殺して金品を奪う者も現れました。
これが「山姥伝説」の真実とされています。
日本昔話の包丁といでいるお婆さん。あれめちゃくちゃ怖くてさ、親に山姥来るぞって言われると震えあがってたわ……。
即身仏
「即身仏、人柱」とは生贄のことです。
〇実行事例
- 神になるために修行僧が生き埋め
- 城などを建てた際の祈願のために人を川で溺れさせて神様に捧げる
〇神への信仰心
神と人が今よりも近かった時代において、「信仰の方が命より大事」とする考え方は日本にもありました。「修行を続けた僧侶が「自らを神にするため」に生き埋めになる」や「人の命と引き換えに神様に守護してほしい」などの願いから行われてきました。
そのため、自ら志願して人柱になる人々(意識高い系)も続出したといいます。
意識高い系ヤバっ……今と同じ感覚で「皆も一緒に死のうぜ!」的な感じだったのかな?
※有名な事例
- 円空という修行僧が自ら生き埋め
- 常紋トンネル(1914年)に労働者を人柱として生き埋め
常紋トンネルは現代すぎて都市伝説とされていたけれど、実際に埋められた人骨が見つかったことから事実と認定されたよ。
奇習はだいたい江戸時代
- 「おじろくおばさ」は人数制限のための奴隷制度
- 「石合戦」は村同士の利権争い
- 「ムカサリ絵馬」は子を忍んだ親の冥婚
- 「口減らし(間引き)」は全国的に普及した人数制限
- 「即身仏、人柱」は信仰心の高い人々の向上心(意識高い系)
鎖国による独特の文化形成が生み出した産物が日本の奇襲であることが多いです。
そのため、江戸時代にはそれが顕著に表れて、異質な風習が乱立することになりました。
ムカサリ絵馬は今でも残っている地域はあるらしい。他はないと思いたいけど、20世紀まで確認できた事例も多かったし、こっそりやっている村とかあるかもね。
いつの時代も意識高い系はいるんやなって……自分がやっていることを信じて疑わない人達だなって。
それが一番恐怖だったよ。
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